おじいちゃん、おばあちゃん子だった私と元気なシニア

※元気なシニアの皆さんの笑顔に囲まれて

春は様々な総会のシーズン。高齢者の方の集まる会合からもお声がかかる。

私は、おじいちゃん、おばあちゃん子だった。大好きだった祖父・哲郎は2007年に、祖母・栗は2012年に他界している。

祖父の葬儀には、米国シカゴの総領事館勤務だったため参列できなかった。

小学生の夏、太陽が欠けていく日食の観察の仕方が分からない子ども達に、墨を塗ったガラスをこしらえてくれたおじいちゃん。ある時は、二人で自転車に乗って、杉林での作業に向かった。帰り道にときどきオレンジジュースを買ってくれた、やさしいおじいちゃん。

酔っぱらった時には、新聞紙を丸めて剣をつくり、本気でちゃんばらをしていた、お茶目なおじいちゃん。初月給をもらい、上京してきたおじいちゃんに張り切ってお昼ご飯をご馳走したこともあった。「おじいちゃん、どう?」と聞くまで、「おいしい」とも言わないで黙々と食べている、気の利かないおじいちゃん。僕の大切なおじいちゃん。

おじいちゃんがいつも、「俺はこうする、俺はこう生きる、という所信がなければ駄目だ。」と繰り返し話していたことを、私は今も大切にしている。大げさなくしゃみ、頑固なところ、自分の中におじいちゃんがいることを今も感じている。

先日伺った会合には、祖父が使っていたネクタイを締めて出かけた。運転免許の自主返納対策や買い物支援、医療・介護体制の充実など、課題は多い。まだまだ元気なシニアの皆さんの笑顔を守りたい、おじいちゃんとおばあちゃんに育ててもらった恩返しとして。