Uターンへの想い

故郷へのUターン、そして故郷のために

小学生時代、地吹雪の中、頰に突き刺さるような風を受けながら3キロメートル弱の道のりを歩いて学校に通った。その頃に始めた野球は、高校時代には春の県大会でベスト4に輝くまで打ち込んだ。友人、先輩、後輩、地域の方々に支えられ、また、豊かな自然環境にも育てられ、少年時代を過ごした。
大学を経て、農業経営か、行政へ進むかに迷いながら、農林水産省へ入省。霞ヶ関での企画・立案、地方行政の経験、内閣官房・外務省への出向などを経て、2010年6月から約1年3か月、副大臣秘書官を務めた。その際、妻の故郷・宮城県石巻市で東日本大震災に遭遇。地域の課題を解決するためには、地域に暮らす人自身が取り組まなければならないということに改めて気付く。
蛙の鳴く水田、その向こうにそびえる鳥海山や月山、夕陽が沈む日本海、満天の星空に蛍が舞う、自然の中を駆け回った少年時代。今も変わらない故郷へ帰ろう。霞が関での企画・立案も大事だが、これからは現場で実践していくことがますます重要になる。故郷を消滅などさせない。それは一人ひとりのこれからの取り組みにかかっている、そのことを実行に移すためのUターンだった。

鶴一中体育祭・応援合戦(右から二人目)(1989年)
鶴南高・野球部の仲間と(前列右から二人目)(1992年)
シカゴ総領事館勤務時代(2006年)
篠原孝農林水産副大臣の秘書官として(後列右)(2011年)
東北公益文科大学の講師として(2014年)
森片の皆さんとともに(2017年)