後援会長コラム『クラゲ館長釣れずれ日記3前編』

コロナが蔓延してからというもの、古巣の加茂水族館にはめったに近ずかなくなってしまった。やめた館長がやたらと顔を出すというのも考え物だが、気が向いたときにふらりと立ち寄って、苦楽を共にしたかっての仲間と話をするのは楽しみなものだった。

やはり50年近い歳月を悲喜こもごもの思い出とともに過ごしたあそこは、近ずいただけでも何か胸に迫る感慨がある。「館長は年だからコロナに罹ったらお終いだ、収まるまで来ないほうがいいよ」と奥泉館長に言われ、なるほど県外客が80パーセントの人気施設だからその恐れは理解できた。そうしているうちに収まるどころかデルタ株だか何だか知らないが3波4波と脅威が増してきた。

しばらくは元クラゲ館長も外から眺めるだけにしておいたほうがいいようだ。

この間の暑い日だった。思い出して昔共に働いた職員や、知り合いの漁師、釣り仲間に後援会への協力をお願いするために加茂地区に行ってみた。

ここら辺だったなと、思い出しながら入ってゆくと、「一体どこの年寄りが何の用事で訪ねてきたんだ?」、、、帽子にマスクの年寄りだから不審な顔で見られるが、「俺だ俺だクラゲ館長だ」というと「あー館長久しぶりだ事元気だがー」と顔が緩んでくれた。訪ねてきた用事はそっちのけで昔の思いで話にのめり込み延々と立ち話が弾んだ。

(皆川市長は加茂地区だけではない、どこを回っても4年前と変わらぬ人気がる。あの時は「文化会館問題という大きな旋風」が巻き起こって、市民の熱烈な支持をいただいたが、4年たった今なお変わらないのはやはり、ただ一人あの責任を取って今なお「給料44パーセントカット」をつづけているということを、誰もが知っているからだろう。嬉しいことだ。)

お互いが80歳を超えてさらに間が10年~15年と空いた相手だと、顔を見ながら目指す本人と確認できるまで時間が必要だった、「年は取りたくないものだなー」40年50年前には、俺も若くていい男だったし白髪を振り乱したこの家のおばあさんも男ならだれでもよろめくような美人だったんだが。

知り合いの漁師の家でも出てきたおやじさんを、一瞬亡くなったお爺さんとまがう有様だった。この親父さんは長く出稼ぎで大きな船に勤務していた方で、定年後実家に戻って好きな「磯見船での気楽な漁」を趣味にしていた。

いつだったかクラゲ採集の船を出したら北防波堤の白灯台のところで、磯見船でアワビ漁のおやじさんに出会って、「クラゲが居たぞー」とバケツに入ったクラゲをもらったことを思い出した。

実に気のいい方で今日の出会いもまた昔と変わらぬほっとする話ができた。

2021,9,10  会長 村上龍男


若い館長