デジタルな日常(8月25日)

鶴岡ライオンズクラブの会員になっている。歴代市長が会員となっていたそうだが、公務もあり例会にもなかなか参加できてない。

今日の昼はオンラインとリアルのハイブリッド例会だということで、オンラインで参加させていただいた。私への質問はやはりコロナの状況。医療従事者と一般市民の間で危機意識に乖離があることをお話しさせていただいた。荘内病院の鈴木聡院長と連名の緊急メッセージを発出した背景にもこれがある。学校が再開した今、対策の徹底でなんとか感染拡大を防止し、医療現場への負荷を増やさないようにする必要がある。

https://www.city.tsuruoka.lg.jp/kenko/hokenkenko/yoboseshu/covid-19/message/210825_byouin.html

午後には県が主催するコロナ対策の緊急市町村長会議に出席。これもオンラインで。オンラインは便利だが、やはりフェースツーフェイスで、時には一献傾けながら、が昭和世代には心に響くことも事実なのであった。

気が抜けないコロナ対応(8月23日)

ミニトマトの甘酢漬けが疲れた頭に効いた。

本日のコロナ感染者は3名だったが、週末も感染者の発生が続き、8月の感染者は92名になった。週末の東北総体の卓球競技での感染者が確認されたとの報告もあった。会場となった小真木原総合体育館が、消毒作業のため8月22日(日)の使用が中止となったが、現在は消毒作業が終了し、通常通り使用できている。

市でも保健師を派遣して支援をしているが、保健所のPCR検査への誘導も手一杯になっていることだろう。お隣の三川町では成人式クラスターで学校が休校に。本市では、学校の臨時休業の措置には至っていないが、気が抜けない日々が続く。トマトのリコピンは抗酸化作用で健康面でも様々な効果がある、夏バテせずに頑張ろう。

コロナ特別警戒(8月22日)

コロナの感染拡大で予定していた後援会主催のこの4年間を振り返る市政報告会が中止に。8月15日に後援会の方針が打ち出され、当面の間、集会を取りやめることとしたのは適切な選択だった思う。

その後、感染者が最多(18名)となった8月20日に、9月12日までを期間とする鶴岡市独自の特別警戒を発出するなど対応に追われた。

ほっとする時間は、一日の終わりに枝豆を食べるとき。この時期、だだちゃ豆農家は早朝からの作業に追われている。農家の皆さんへの感謝とともに、第5波の中で、医療従事者を支えるために、今はとにかく感染拡大防止が第一、そのために明日も頑張ろうと思う。

再評価されるべきアマゾン自然・民族資料

農林水産行政に長く携わった経験から、また、自然豊かな鶴岡で生まれ育ち、今なお両親が農業・林業で生計を立てていることから、私は、「生物多様性」という概念は、行政を展開する上でも、経済事業を行う上でも、極めて大切なものだと考えている。

天から降り注いだ雨は、山林の養分とともに水田に受け止められ、庄内平野を縦断する川と水路がつなぎ、豊穣の海へ注がれる、水の循環。鶴岡は、山と海に囲まれ、それをつなぐ田園があるが故に、様々な生物が住み、遺伝子や生態系の多様性が保全されている。考えてみれば食文化創造都市の源泉とも言える在来作物の栽培も、遺伝資源と生物の多様性を体現した農業の一形態だ。農林漁業は、自然環境に働きかけ、その恵みをいただく、正に自然環境と一体の産業だ。また、2015年に大村智氏が土壌中の微生物が作る抗生物質の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞したことも記憶に新しい。生物多様性は、ビジネスや人類の未来にもつながっている。

さて、2014年3月、生物多様性、そして自然と人間との共生という重要なテーマを私たちに教えてくれた施設がここ鶴岡で閉館された。私が、鶴岡にUターンしたのが2014年4月、すれ違いで施設を利用することができなくなってしまったのは残念だ。1991年に旧朝日村の月山あさひ博物村にアマゾン自然館が、また1994年に旧鶴岡市の出羽庄内国際村にアマゾン民族館が開館。展示品には、ワシントン条約などにより、現在では収集できない絶滅の危機に瀕している動物の剥製、昆虫の標本や、何世代にも亘って継承されてきた貴重な民族資料が含まれていた。コレクションの所有者はアマゾン研究家の山口夫妻だ。

閉館の理由は行財政改革だという。来館者の減少で市財政の負担になっているということなのだろう。専門家が認める世界的なコレクションが宙に浮こうとしている。

私たちはどこから来て、どこへ向かうのだろうか?食文化も先端研究も、遺伝資源と生物多様性の重要性に思いが至らないようでは本物にはならない。「なぜ鶴岡でアマゾン?」そんな声もあったそうだ。むしろ鶴岡だからこそ、クラゲで世界一の水族館があるように、生き物、民族の暮らしを学べるオンリーワンの展示ができ、教育・文化にとどまらず、観光の目玉にもなるはずだ。「生物多様性」の重要性に思いを致す時、その価値は自ずとわかるはずだ。

守り育ててきた地域の資源、宝を活かす、行財政改革一辺倒で、この視点が失われるとすればその損失は計り知れない。

 

対話とミニ集会

ミニ集会を継続している。茶の間で、公民館で、企業の会議室で。

その中で、「新文化会館整備問題だけが争点ではない」といくら主張しても、この問題に触れられないことはない。端的に言えば、多くの市民は怒っている。日々、市民と対話を重ねる中で、そのことを強く感じる。

もちろん、文化会館の問題にとどまらず、教育、医療・福祉、農業、商店街、地域コミュニティ、貧困と格差、更には議会のチェック機能まで、実に様々な問いかけがある。

高齢者への支援、子育て環境の整備、旧町村の活性化など、財源の捻出に工夫を要する分野は数多くある。だからこそ行政は、市民目線の成果目標をしっかり定め、最小の経費で最大の効果を生むように努力し、そして市民の「なぜ?」に対し説明責任を果たす必要がある。

新文化会館については、私は、最大限活用することに注力したいが、今現在も市民の間に不信の声があり、視界不良、霧が晴れないことは本当に残念だ。なぜ市民の間にこの問題をめぐる不信がここまで根深くなってしまったのか。新文化会館の整備問題には、市民の「なぜ?」が凝縮しているようだ。整備過程を巡る意思決定の在り方、地元の技術・資源の活用、議会との関係など、一公共施設の設置に止まらない現在の市政全般に渡る構造的な問題が姿を表しているととらえるべきだろう。いわば、対話に欠ける市政の象徴となってしまった。

政治の役割はなんだろうか。様々な会合に顔を出し、笑顔を振りまくことなのだろうか。政治は結果責任を負わなければならない。私は、政策本位の論争を展開する覚悟を、政治家もそして市民も持たなければ、いつまでも愛想の良い政治家が、説明責任を果たさず、責任を負わないままで継続してしまうことになるのではないかと危惧している。

誇るべきまち・鶴岡を未来へつなぐ責任は、等しく、市民が負っている。4月下旬にも提示するとしていた公約も打ち出さないままに政党の推薦が決まってしまう。変だなと思うことに声をあげなければ、鶴岡は変わっていかない。私は、市政において党派色を強く打ち出す必要はないと考えている。多様な市民の声を聴く、市民党として、市民の課題に寄り添いたい。そのための対話とミニ集会を継続している。もう4年間、今の市政を継続するという選択肢は、私は「ない」と思っている。しかしそれを選択するのは市民一人一人なのだ。

故郷は農林漁業と共に 

※雨の中の苗出し作業(4月15日)。黄金色の秋の稲穂を目指して。

鳥海山の山肌に種まき爺さんが現れる頃、庄内地方の農作業は本格化する。

4月8日に立候補の表明をし、挨拶回りに追われる中、どうしても外せない行事があった。我が家の苗出し作業だ。稲作農家といえば、田植え、稲刈りの様子が思い浮かぶだろう。「苗出し」は田植えができる状態まで苗を育てるための準備作業だが、これに参加したことのない人は「?」な作業だろう。

今年は、4月15日、早朝から作業が行われ、地元のJA(農業協同組合)の職員さんも参加してくれた。JAの職員さんといっても、当然、非農家出身の方もいて、企画、金融、購買といったいわゆる事務業務に従事していれば、実際の農作業、農業現場の実態把握が十分に行き届かないとしても責めることはできない。そこで、組合長さんの発案で、庄内の春の農作業の代名詞である「苗出し」にJA職員を派遣することになったのだそうだ。農家は助かり、JA職員は現場を学べるWIN-WINの関係。とっても素晴らしいアイディアだ。

育苗の方法は、ほ場に簡易な育苗施設を作ったり、ハウスを活用したり、シートを被せて温度管理をしたり、水に浸したり、農家ごとに様々な工夫がされている。また経営規模も、私が最近お話を聞いた農家だけでも25ha、7ha、4haと様々だ。正に百聞は一見に如かずだ。

GWに入ると早いところでは田植えが始まる。そしてこの時期、地域では豊作を祈る祭りが行われる。5月4日に伺った羽黒町高寺地区で行われた高寺八講(たかでらはっこう)もその一つ。昭和51年に県の無形民俗文化財に指定された豊作を祈願する舞、神事だ。

農林漁業は確かに一つの産業だ。しかし、日々の生活に欠かせない食料を供給し、文化を継承し、自然環境と一体の、地域とともにある産業だ。英語では、プライマリー・インダストリー(Primary industry)。「一次産業」という日本語よりも、要の、不可欠な産業であるとの意味が伝わってくる。農林漁業をなくして故郷はない。巡り巡る季節の中で、故郷の祭りに参加するたびに、農業を始めとする一次産業を絶対に次の世代につなげて行かなければならない、との思いがこみ上げてくる。

ホスピタリティを考える 

※暖かい笑いに包まれたエプロンシアターの様子

先日あるイベントに参加した時のこと。
玄関で、目の不自由な女性が杖を使い、慎重に進行方向を探しているのを見かけた。
「どちらまで?」と尋ねると、私が参加するイベントと同じ場所へ行きたいのだと言う。
イベントの開始時間までは少し時間があった。その時間を利用してお弁当を食べるので、「施設の中に適当な場所はないか」と尋ねられた。施設の管理人らしき人に確認すると「この施設は予約制なので、部屋の予約をしていなければ飲食はできません」ときっぱり。

私は、「そうですか」とだけ答え、女性を3階のイベント会場までご案内することとした。女性は時々施設の1階を訪れることがあるそうだが、3階は利用したことがなかったそうだ。右腕につかまった女性と歩きながら、目の不自由な方が3階に向かうのは大変なのだなと感じた。3階に到着すると、イベントの準備控室が空いていたので、女性にはそこで食事をしてもらうことにした。

また、先日、私の記者会見の前にこんなこともあった。記者会見のプレスリリースを市役所内の記者クラブに届けてもらおうと私の友人に頼んだところ、友人は市役所の職員に資料を持ち込んだのだそうだ。友人は職員から「市役所では対応できません」と言われ、一旦引き返している。友人が仕組みを知らなかったと言えばそれまでなのだが、市役所内に記者クラブがあり、そこに行くべきであることを教えてくれれば良かったのだが。

ホスピタリティ。ちょっとした気遣いとおもてなしの心。構造的な問題であれば是正するのに時間がかかるが、ほんのちょっとの心がけで、お互い気持ちよく過ごせることも多いように思う。市民目線で市民のために働くということは、日々の小さなことの積み重ねでもある。

女性と見たイベントのエプロンシアターは子どもから大人までを魅了する動きが行き届いていた。

おじいちゃん、おばあちゃん子だった私と元気なシニア

※元気なシニアの皆さんの笑顔に囲まれて

春は様々な総会のシーズン。高齢者の方の集まる会合からもお声がかかる。

私は、おじいちゃん、おばあちゃん子だった。大好きだった祖父・哲郎は2007年に、祖母・栗は2012年に他界している。

祖父の葬儀には、米国シカゴの総領事館勤務だったため参列できなかった。

小学生の夏、太陽が欠けていく日食の観察の仕方が分からない子ども達に、墨を塗ったガラスをこしらえてくれたおじいちゃん。ある時は、二人で自転車に乗って、杉林での作業に向かった。帰り道にときどきオレンジジュースを買ってくれた、やさしいおじいちゃん。

酔っぱらった時には、新聞紙を丸めて剣をつくり、本気でちゃんばらをしていた、お茶目なおじいちゃん。初月給をもらい、上京してきたおじいちゃんに張り切ってお昼ご飯をご馳走したこともあった。「おじいちゃん、どう?」と聞くまで、「おいしい」とも言わないで黙々と食べている、気の利かないおじいちゃん。僕の大切なおじいちゃん。

おじいちゃんがいつも、「俺はこうする、俺はこう生きる、という所信がなければ駄目だ。」と繰り返し話していたことを、私は今も大切にしている。大げさなくしゃみ、頑固なところ、自分の中におじいちゃんがいることを今も感じている。

先日伺った会合には、祖父が使っていたネクタイを締めて出かけた。運転免許の自主返納対策や買い物支援、医療・介護体制の充実など、課題は多い。まだまだ元気なシニアの皆さんの笑顔を守りたい、おじいちゃんとおばあちゃんに育ててもらった恩返しとして。

地域の未来は地域住民自身がつくる

※集落センターで自治会長さんとともに

8日の立候補の表明から暫くして、旧温海町の山間部の集落に伺った。

集落センターを訪問すると、雪囲いを取り外す作業が終盤に差しかかっていた。作業を終えた方々が、センターの一室に集まってくれた。皆、10月に向かって挑戦する決意を固めた私の話に興味津々だった。

この集落は、人口約300人、世帯数約80戸で、周辺の集落よりも比較的規模の大きな集落だ。しかしながら、10年前と比較すると人口では約16%、世帯数では約7%減少しており、高齢世帯や空き家の増加などが課題になっていた。

こうした状況の下で、集落では、中学生以上の住民にアンケートを行い、地域がどのような課題を抱えているのか調査を行った。更に住民が参画するワークショップを開催し、自由に意見を出し合いながら、①屋根の雪下ろし・除雪の支えあいの仕組みづくり、②集落の魅力の情報発信、③在来作物のブランド化、④先人の技と知恵の継承、などを取組み目標とする集落の「活性化ビジョン」を取りまとめている。この「活性化ビジョン」には、年次別の行動計画まで含まれていた。

「活性化ビジョン」の策定には市職員も参画していたが、あくまでも集落の一員としての参画であり、集落の住民自らが立ち上がり、まとめたものとなっている。

地域の未来は誰がつくるのだろうか。それは地域住民自身に他ならない。合併から11年が経過し、旧鶴岡市と旧町村との関係が、当初描いたものとはなっていないとの指摘がある。住民に身近な行政サービスを提供するという観点からは、旧町村の権限と財源が不十分だという課題もある。そうした大きな枠組みの議論ととともに、意欲ある集落、地域の動きを後押しすることの重要性、行政の大事な役割はそこにあるということを改めて考えさせられた訪問だった。