今日外から眺めるクラゲ水族館は立派だった。
今駐車場になっているあのあたりに思い出が詰まった古い水族館があったのだ。「長く続く入館者の減少と施設の老化には泣かされた」、ついに雨漏りは止めることができなかったし、コンクリートの柱や梁は塩害いのためか亀裂が入り、地震が来たらいつ崩れてもおかしくない有様だった。
「館長、、、飼育係はいつも1階にいる、地震が来たら俺たちが一番先に死ぬのか」と奥泉に言われていた。2階の事務室にいる館長が一人生き残ったらみんなに顔向けならないなーと思ったものだった。
業績の悪化とともに、クラゲ館長もすっかり暗くなり、ついに終わりの時が来たかと思ったものだった。「まあなんというのか地獄の釜に片足を突っ込んだような、救われないあきらめの境地かなー」。
あそこでくらげに出会ったのだから、何ともこの世は複雑怪奇で摩訶不思議ともいうべきだろう。
どん底を迎えた平成9年の春苦し紛れに「生きたサンゴ展」と称した、ちょっとした展示を始めた。ここにクラゲの神様が希望の種を角蒔いておいてくれた。
展示を始めて1月が過ぎた4月、サンゴの上にごみのように小さな生き物が20~30匹泳ぎだした。これが何者か誰もわからなかった。私だって「何だかおかしな奴だのー、何だもんだろ」というばかり。
これがクラゲだったとは今思いだしても偶然にしては出来すぎだった。やはりクラゲの神様が「日本一小さな水族館が今にも終わりそうだ、かわいそうだから助けてやろう」と応援してくれたとしか思われない。
この見慣れぬ生き物に興味を持った奥泉飼育係が餌をやって育てたらクラゲになったのだ。これも見えない手で導かれたようなものだ。彼が興味を持たなければ「変な生き物だなー」で終わっていたことになる。
あの出会いから23年になる。この白い建物は今や全国の水族館動物園の「人気ベスト10で8位」、水族館だけでいえば上には沖縄の美ら海水族館だけという全国2位だし、広く目をやれば世界中の水族館仲間がクラゲを学びに来る知れ渡った存在になった。
どっこい地獄の窯も悪くはないようだ。あそこにはクラゲの神様が待っていてくれたのだ。
2021,9,10 会長 村上龍男