デジタルな日常(8月25日)

鶴岡ライオンズクラブの会員になっている。歴代市長が会員となっていたそうだが、公務もあり例会にもなかなか参加できてない。

今日の昼はオンラインとリアルのハイブリッド例会だということで、オンラインで参加させていただいた。私への質問はやはりコロナの状況。医療従事者と一般市民の間で危機意識に乖離があることをお話しさせていただいた。荘内病院の鈴木聡院長と連名の緊急メッセージを発出した背景にもこれがある。学校が再開した今、対策の徹底でなんとか感染拡大を防止し、医療現場への負荷を増やさないようにする必要がある。

https://www.city.tsuruoka.lg.jp/kenko/hokenkenko/yoboseshu/covid-19/message/210825_byouin.html

午後には県が主催するコロナ対策の緊急市町村長会議に出席。これもオンラインで。オンラインは便利だが、やはりフェースツーフェイスで、時には一献傾けながら、が昭和世代には心に響くことも事実なのであった。

後援会長コラム『くらげ館長釣れずれ日記』

習慣というものは恐ろしいものだ、今朝も二階の窓からカーテンを寄せて外を覗いた、昨夜の雷と稲妻まじりの雨が気になったのだ、今頃にしては相当な降り様だったようだ。

見降ろす庭の先に大きな水溜まりが二つできていた、この分では近くの沢が増水して程よく濁り、良い水具合になっているだろう、敏感でずるがしこいイワナやヤマメが隠れ家から出て活発にえさを追っているはずだ、

20年30年と雨を待ってのイワナ釣りを続けている間に、二階から見る水たまりの大きさで川の水具合が手に取るように分かる様になった、ここ庄内は良いところだと思う、釣りの好きな者にはまるで「この世の極楽浄土」みたいなものだ、海も近いし山もすぐそこだ、いつもの自分だったらあの水溜まりを見たら矢も楯もたまらず畑の隅からミミズを掘って、通いなれた渓流に吹っ跳んでいったはずだ。

都会に住む釣り人から見ればここ庄内は、海にも山にも貴重な魚がみな手の届くところに泳いでいる、しかし今年の自分には釣りに出かける余裕がない、まあ慣れない後援会会長としてうろうろしていると言って方が当たっているかもしれない。

もともと私の50年は魚で通して最後はクラゲで終わった男だ、政治には全く無縁だったそれが今、後援会長を務めているのだから我ながら何とも不思議な感じがする。

4年と半年前の3月、弱冠42歳の若武者に出会ったのが生き方を変えた、たった一人で強敵に立ち向かうその心意気に心を奪われたと言って良いだろう、いわば男が男に惚れたのだ。

私だって42歳のころは燃えるような情熱があった「ただただクロダイの大物を釣りたかった」、近くの竹やぶから掘ってきた自作の4間竿に、あえて中通しにはせずハリス3号を竿先に縛り付けて荒れる磯の先に立ち、沈み岩を越して振り込んで当りを待った、竿の先が引き込まれる僅か一瞬早く竿を立てる、、、、細い庄内竿が手元から曲げられる、竿が折れるか、、糸が切れるか、、、強い引きに耐え切れず思わず「あ、、、、―」っと声が出た、あそこには男を迷わすようなスリルがあった。

挑戦する男の心意気には比べようもないが、今私もあの頃のように心は燃えている。

2021,8,23  会長 村上龍男

気が抜けないコロナ対応(8月23日)

ミニトマトの甘酢漬けが疲れた頭に効いた。

本日のコロナ感染者は3名だったが、週末も感染者の発生が続き、8月の感染者は92名になった。週末の東北総体の卓球競技での感染者が確認されたとの報告もあった。会場となった小真木原総合体育館が、消毒作業のため8月22日(日)の使用が中止となったが、現在は消毒作業が終了し、通常通り使用できている。

市でも保健師を派遣して支援をしているが、保健所のPCR検査への誘導も手一杯になっていることだろう。お隣の三川町では成人式クラスターで学校が休校に。本市では、学校の臨時休業の措置には至っていないが、気が抜けない日々が続く。トマトのリコピンは抗酸化作用で健康面でも様々な効果がある、夏バテせずに頑張ろう。

コロナ特別警戒(8月22日)

コロナの感染拡大で予定していた後援会主催のこの4年間を振り返る市政報告会が中止に。8月15日に後援会の方針が打ち出され、当面の間、集会を取りやめることとしたのは適切な選択だった思う。

その後、感染者が最多(18名)となった8月20日に、9月12日までを期間とする鶴岡市独自の特別警戒を発出するなど対応に追われた。

ほっとする時間は、一日の終わりに枝豆を食べるとき。この時期、だだちゃ豆農家は早朝からの作業に追われている。農家の皆さんへの感謝とともに、第5波の中で、医療従事者を支えるために、今はとにかく感染拡大防止が第一、そのために明日も頑張ろうと思う。

新型コロナ・レベル4(特別警戒)を踏まえた対応について

 

令和3年8月12日、県内で新型コロナウイルス感染者が増加していることを受けて、県独自の注意・警戒レベルが、県全域でレベル4(特別警戒)に引き上げられました。レベル4(特別警戒)は、感染が拡大傾向にある状態であり、鶴岡市においても、今月に入り、約2か月ぶりの感染者が確認され、本日までに24例の感染が公表されています。

こうした状況を踏まえ、当後援会では、感染拡大を防止することを第一に以下のとおり対応することとします。

 

  • 本日(8月15日)から当面の間、後援会主催の市政報告会などの一般会員等を対象とした集会の開催を控えることとします。
    • 市政報告会等の再開の時期については、感染状況を注視しつつ検討します。

 

  • 今般の感染状況を踏まえ、ホームページやSNS等を活用した情報発信をより強化してまいります。

市民党、市民ファースト

2006年~2009年に米国シカゴに3年間滞在した。シカゴ総領事館員として、日本と米国中西部の経済交流の促進、現地の農業情勢の把握に取り組んだ。

その際印象的だったのは、米国においては、農務省(日本の農林水産省に相当)が所管する全ての政策のあり方は農業法で決まること、そして、その策定過程においては、共和党と民主党の有力議員が党派を超えて法案を提案していたことだ。ちなみに、米国においては、三権分立が実行されており、政府(農務省)は、議会が決定した法案の執行機関として位置づけられ、農業法の策定作業は議会を中心に行われる。現場を熟知した議員がスタッフを抱え、より現場の実情を反映した政策立案が行われているのだ。

市民に最も身近なサービスを提供しなければならない市町村行政において、私は、特定の政党に依拠して政策を立案し、実行する必要はないと考えている。様々な思想・信条を持つ市民がおられる中で、まちづくり、教育、医療、福祉、観光、そして農業も、市レベルで提供する市民サービスに、党派の争いを持ち込む必要はない。4月8日の市長選立候補表明の記者会見の際、記者からの質問に答え政党への推薦は求めないと申し上げたのは、そういう意味だ。

先般の東京都議会選挙においては、都民ファーストの風が吹いた。党派の争いを超えて、現状を改革し、未来への展望を示す政治家が求められている。結論ありきの政策決定のあり方を改め、多様な市民の声を反映し、地域が抱える課題を解決できる政治、鶴岡においても、執行機関のリーダーである市長、そして議決機関である議会、議員、その両方が、市民目線で党派を超えた取り組みができるかが問われている。私は、私の政策、考え方に賛同いただける方々の支援を得て、行政の意思決定過程を見える化し、公平・公正な市民のための政治を進めていく。

再評価されるべきアマゾン自然・民族資料

農林水産行政に長く携わった経験から、また、自然豊かな鶴岡で生まれ育ち、今なお両親が農業・林業で生計を立てていることから、私は、「生物多様性」という概念は、行政を展開する上でも、経済事業を行う上でも、極めて大切なものだと考えている。

天から降り注いだ雨は、山林の養分とともに水田に受け止められ、庄内平野を縦断する川と水路がつなぎ、豊穣の海へ注がれる、水の循環。鶴岡は、山と海に囲まれ、それをつなぐ田園があるが故に、様々な生物が住み、遺伝子や生態系の多様性が保全されている。考えてみれば食文化創造都市の源泉とも言える在来作物の栽培も、遺伝資源と生物の多様性を体現した農業の一形態だ。農林漁業は、自然環境に働きかけ、その恵みをいただく、正に自然環境と一体の産業だ。また、2015年に大村智氏が土壌中の微生物が作る抗生物質の研究でノーベル生理学・医学賞を受賞したことも記憶に新しい。生物多様性は、ビジネスや人類の未来にもつながっている。

さて、2014年3月、生物多様性、そして自然と人間との共生という重要なテーマを私たちに教えてくれた施設がここ鶴岡で閉館された。私が、鶴岡にUターンしたのが2014年4月、すれ違いで施設を利用することができなくなってしまったのは残念だ。1991年に旧朝日村の月山あさひ博物村にアマゾン自然館が、また1994年に旧鶴岡市の出羽庄内国際村にアマゾン民族館が開館。展示品には、ワシントン条約などにより、現在では収集できない絶滅の危機に瀕している動物の剥製、昆虫の標本や、何世代にも亘って継承されてきた貴重な民族資料が含まれていた。コレクションの所有者はアマゾン研究家の山口夫妻だ。

閉館の理由は行財政改革だという。来館者の減少で市財政の負担になっているということなのだろう。専門家が認める世界的なコレクションが宙に浮こうとしている。

私たちはどこから来て、どこへ向かうのだろうか?食文化も先端研究も、遺伝資源と生物多様性の重要性に思いが至らないようでは本物にはならない。「なぜ鶴岡でアマゾン?」そんな声もあったそうだ。むしろ鶴岡だからこそ、クラゲで世界一の水族館があるように、生き物、民族の暮らしを学べるオンリーワンの展示ができ、教育・文化にとどまらず、観光の目玉にもなるはずだ。「生物多様性」の重要性に思いを致す時、その価値は自ずとわかるはずだ。

守り育ててきた地域の資源、宝を活かす、行財政改革一辺倒で、この視点が失われるとすればその損失は計り知れない。

 

対話とミニ集会

ミニ集会を継続している。茶の間で、公民館で、企業の会議室で。

その中で、「新文化会館整備問題だけが争点ではない」といくら主張しても、この問題に触れられないことはない。端的に言えば、多くの市民は怒っている。日々、市民と対話を重ねる中で、そのことを強く感じる。

もちろん、文化会館の問題にとどまらず、教育、医療・福祉、農業、商店街、地域コミュニティ、貧困と格差、更には議会のチェック機能まで、実に様々な問いかけがある。

高齢者への支援、子育て環境の整備、旧町村の活性化など、財源の捻出に工夫を要する分野は数多くある。だからこそ行政は、市民目線の成果目標をしっかり定め、最小の経費で最大の効果を生むように努力し、そして市民の「なぜ?」に対し説明責任を果たす必要がある。

新文化会館については、私は、最大限活用することに注力したいが、今現在も市民の間に不信の声があり、視界不良、霧が晴れないことは本当に残念だ。なぜ市民の間にこの問題をめぐる不信がここまで根深くなってしまったのか。新文化会館の整備問題には、市民の「なぜ?」が凝縮しているようだ。整備過程を巡る意思決定の在り方、地元の技術・資源の活用、議会との関係など、一公共施設の設置に止まらない現在の市政全般に渡る構造的な問題が姿を表しているととらえるべきだろう。いわば、対話に欠ける市政の象徴となってしまった。

政治の役割はなんだろうか。様々な会合に顔を出し、笑顔を振りまくことなのだろうか。政治は結果責任を負わなければならない。私は、政策本位の論争を展開する覚悟を、政治家もそして市民も持たなければ、いつまでも愛想の良い政治家が、説明責任を果たさず、責任を負わないままで継続してしまうことになるのではないかと危惧している。

誇るべきまち・鶴岡を未来へつなぐ責任は、等しく、市民が負っている。4月下旬にも提示するとしていた公約も打ち出さないままに政党の推薦が決まってしまう。変だなと思うことに声をあげなければ、鶴岡は変わっていかない。私は、市政において党派色を強く打ち出す必要はないと考えている。多様な市民の声を聴く、市民党として、市民の課題に寄り添いたい。そのための対話とミニ集会を継続している。もう4年間、今の市政を継続するという選択肢は、私は「ない」と思っている。しかしそれを選択するのは市民一人一人なのだ。

故郷は農林漁業と共に 

※雨の中の苗出し作業(4月15日)。黄金色の秋の稲穂を目指して。

鳥海山の山肌に種まき爺さんが現れる頃、庄内地方の農作業は本格化する。

4月8日に立候補の表明をし、挨拶回りに追われる中、どうしても外せない行事があった。我が家の苗出し作業だ。稲作農家といえば、田植え、稲刈りの様子が思い浮かぶだろう。「苗出し」は田植えができる状態まで苗を育てるための準備作業だが、これに参加したことのない人は「?」な作業だろう。

今年は、4月15日、早朝から作業が行われ、地元のJA(農業協同組合)の職員さんも参加してくれた。JAの職員さんといっても、当然、非農家出身の方もいて、企画、金融、購買といったいわゆる事務業務に従事していれば、実際の農作業、農業現場の実態把握が十分に行き届かないとしても責めることはできない。そこで、組合長さんの発案で、庄内の春の農作業の代名詞である「苗出し」にJA職員を派遣することになったのだそうだ。農家は助かり、JA職員は現場を学べるWIN-WINの関係。とっても素晴らしいアイディアだ。

育苗の方法は、ほ場に簡易な育苗施設を作ったり、ハウスを活用したり、シートを被せて温度管理をしたり、水に浸したり、農家ごとに様々な工夫がされている。また経営規模も、私が最近お話を聞いた農家だけでも25ha、7ha、4haと様々だ。正に百聞は一見に如かずだ。

GWに入ると早いところでは田植えが始まる。そしてこの時期、地域では豊作を祈る祭りが行われる。5月4日に伺った羽黒町高寺地区で行われた高寺八講(たかでらはっこう)もその一つ。昭和51年に県の無形民俗文化財に指定された豊作を祈願する舞、神事だ。

農林漁業は確かに一つの産業だ。しかし、日々の生活に欠かせない食料を供給し、文化を継承し、自然環境と一体の、地域とともにある産業だ。英語では、プライマリー・インダストリー(Primary industry)。「一次産業」という日本語よりも、要の、不可欠な産業であるとの意味が伝わってくる。農林漁業をなくして故郷はない。巡り巡る季節の中で、故郷の祭りに参加するたびに、農業を始めとする一次産業を絶対に次の世代につなげて行かなければならない、との思いがこみ上げてくる。