コロナ特別警戒(8月22日)

コロナの感染拡大で予定していた後援会主催のこの4年間を振り返る市政報告会が中止に。8月15日に後援会の方針が打ち出され、当面の間、集会を取りやめることとしたのは適切な選択だった思う。

その後、感染者が最多(18名)となった8月20日に、9月12日までを期間とする鶴岡市独自の特別警戒を発出するなど対応に追われた。

ほっとする時間は、一日の終わりに枝豆を食べるとき。この時期、だだちゃ豆農家は早朝からの作業に追われている。農家の皆さんへの感謝とともに、第5波の中で、医療従事者を支えるために、今はとにかく感染拡大防止が第一、そのために明日も頑張ろうと思う。

故郷は農林漁業と共に 

※雨の中の苗出し作業(4月15日)。黄金色の秋の稲穂を目指して。

鳥海山の山肌に種まき爺さんが現れる頃、庄内地方の農作業は本格化する。

4月8日に立候補の表明をし、挨拶回りに追われる中、どうしても外せない行事があった。我が家の苗出し作業だ。稲作農家といえば、田植え、稲刈りの様子が思い浮かぶだろう。「苗出し」は田植えができる状態まで苗を育てるための準備作業だが、これに参加したことのない人は「?」な作業だろう。

今年は、4月15日、早朝から作業が行われ、地元のJA(農業協同組合)の職員さんも参加してくれた。JAの職員さんといっても、当然、非農家出身の方もいて、企画、金融、購買といったいわゆる事務業務に従事していれば、実際の農作業、農業現場の実態把握が十分に行き届かないとしても責めることはできない。そこで、組合長さんの発案で、庄内の春の農作業の代名詞である「苗出し」にJA職員を派遣することになったのだそうだ。農家は助かり、JA職員は現場を学べるWIN-WINの関係。とっても素晴らしいアイディアだ。

育苗の方法は、ほ場に簡易な育苗施設を作ったり、ハウスを活用したり、シートを被せて温度管理をしたり、水に浸したり、農家ごとに様々な工夫がされている。また経営規模も、私が最近お話を聞いた農家だけでも25ha、7ha、4haと様々だ。正に百聞は一見に如かずだ。

GWに入ると早いところでは田植えが始まる。そしてこの時期、地域では豊作を祈る祭りが行われる。5月4日に伺った羽黒町高寺地区で行われた高寺八講(たかでらはっこう)もその一つ。昭和51年に県の無形民俗文化財に指定された豊作を祈願する舞、神事だ。

農林漁業は確かに一つの産業だ。しかし、日々の生活に欠かせない食料を供給し、文化を継承し、自然環境と一体の、地域とともにある産業だ。英語では、プライマリー・インダストリー(Primary industry)。「一次産業」という日本語よりも、要の、不可欠な産業であるとの意味が伝わってくる。農林漁業をなくして故郷はない。巡り巡る季節の中で、故郷の祭りに参加するたびに、農業を始めとする一次産業を絶対に次の世代につなげて行かなければならない、との思いがこみ上げてくる。

ホスピタリティを考える 

※暖かい笑いに包まれたエプロンシアターの様子

先日あるイベントに参加した時のこと。
玄関で、目の不自由な女性が杖を使い、慎重に進行方向を探しているのを見かけた。
「どちらまで?」と尋ねると、私が参加するイベントと同じ場所へ行きたいのだと言う。
イベントの開始時間までは少し時間があった。その時間を利用してお弁当を食べるので、「施設の中に適当な場所はないか」と尋ねられた。施設の管理人らしき人に確認すると「この施設は予約制なので、部屋の予約をしていなければ飲食はできません」ときっぱり。

私は、「そうですか」とだけ答え、女性を3階のイベント会場までご案内することとした。女性は時々施設の1階を訪れることがあるそうだが、3階は利用したことがなかったそうだ。右腕につかまった女性と歩きながら、目の不自由な方が3階に向かうのは大変なのだなと感じた。3階に到着すると、イベントの準備控室が空いていたので、女性にはそこで食事をしてもらうことにした。

また、先日、私の記者会見の前にこんなこともあった。記者会見のプレスリリースを市役所内の記者クラブに届けてもらおうと私の友人に頼んだところ、友人は市役所の職員に資料を持ち込んだのだそうだ。友人は職員から「市役所では対応できません」と言われ、一旦引き返している。友人が仕組みを知らなかったと言えばそれまでなのだが、市役所内に記者クラブがあり、そこに行くべきであることを教えてくれれば良かったのだが。

ホスピタリティ。ちょっとした気遣いとおもてなしの心。構造的な問題であれば是正するのに時間がかかるが、ほんのちょっとの心がけで、お互い気持ちよく過ごせることも多いように思う。市民目線で市民のために働くということは、日々の小さなことの積み重ねでもある。

女性と見たイベントのエプロンシアターは子どもから大人までを魅了する動きが行き届いていた。

おじいちゃん、おばあちゃん子だった私と元気なシニア

※元気なシニアの皆さんの笑顔に囲まれて

春は様々な総会のシーズン。高齢者の方の集まる会合からもお声がかかる。

私は、おじいちゃん、おばあちゃん子だった。大好きだった祖父・哲郎は2007年に、祖母・栗は2012年に他界している。

祖父の葬儀には、米国シカゴの総領事館勤務だったため参列できなかった。

小学生の夏、太陽が欠けていく日食の観察の仕方が分からない子ども達に、墨を塗ったガラスをこしらえてくれたおじいちゃん。ある時は、二人で自転車に乗って、杉林での作業に向かった。帰り道にときどきオレンジジュースを買ってくれた、やさしいおじいちゃん。

酔っぱらった時には、新聞紙を丸めて剣をつくり、本気でちゃんばらをしていた、お茶目なおじいちゃん。初月給をもらい、上京してきたおじいちゃんに張り切ってお昼ご飯をご馳走したこともあった。「おじいちゃん、どう?」と聞くまで、「おいしい」とも言わないで黙々と食べている、気の利かないおじいちゃん。僕の大切なおじいちゃん。

おじいちゃんがいつも、「俺はこうする、俺はこう生きる、という所信がなければ駄目だ。」と繰り返し話していたことを、私は今も大切にしている。大げさなくしゃみ、頑固なところ、自分の中におじいちゃんがいることを今も感じている。

先日伺った会合には、祖父が使っていたネクタイを締めて出かけた。運転免許の自主返納対策や買い物支援、医療・介護体制の充実など、課題は多い。まだまだ元気なシニアの皆さんの笑顔を守りたい、おじいちゃんとおばあちゃんに育ててもらった恩返しとして。

地域の未来は地域住民自身がつくる

※集落センターで自治会長さんとともに

8日の立候補の表明から暫くして、旧温海町の山間部の集落に伺った。

集落センターを訪問すると、雪囲いを取り外す作業が終盤に差しかかっていた。作業を終えた方々が、センターの一室に集まってくれた。皆、10月に向かって挑戦する決意を固めた私の話に興味津々だった。

この集落は、人口約300人、世帯数約80戸で、周辺の集落よりも比較的規模の大きな集落だ。しかしながら、10年前と比較すると人口では約16%、世帯数では約7%減少しており、高齢世帯や空き家の増加などが課題になっていた。

こうした状況の下で、集落では、中学生以上の住民にアンケートを行い、地域がどのような課題を抱えているのか調査を行った。更に住民が参画するワークショップを開催し、自由に意見を出し合いながら、①屋根の雪下ろし・除雪の支えあいの仕組みづくり、②集落の魅力の情報発信、③在来作物のブランド化、④先人の技と知恵の継承、などを取組み目標とする集落の「活性化ビジョン」を取りまとめている。この「活性化ビジョン」には、年次別の行動計画まで含まれていた。

「活性化ビジョン」の策定には市職員も参画していたが、あくまでも集落の一員としての参画であり、集落の住民自らが立ち上がり、まとめたものとなっている。

地域の未来は誰がつくるのだろうか。それは地域住民自身に他ならない。合併から11年が経過し、旧鶴岡市と旧町村との関係が、当初描いたものとはなっていないとの指摘がある。住民に身近な行政サービスを提供するという観点からは、旧町村の権限と財源が不十分だという課題もある。そうした大きな枠組みの議論ととともに、意欲ある集落、地域の動きを後押しすることの重要性、行政の大事な役割はそこにあるということを改めて考えさせられた訪問だった。